Mari Matsuno の日記

神戸とパリ在住の画家、松野真理のブログです。

留守中

帰る間際のパリREIMS通り

一番悲しかったのは、ツバメちゃんの巣がカラスにやられていたこと。一応フミが掃除してたから怖いところは、残ってなかったけど、悲惨。やはり棒だけでは守れないんだわ。布をしてやればよかった。どうせ私のいない間、母の車は入らないのだもの。

他に信州のお土産のワインと野沢菜が届いていたり、薬大の時の教授の「私の歩んだ道」という冊子が送られてきていた。「水産動物カロテノイドに関する比較生化学的研究に向けて研究し1948年から2013年に至る科学者としての道について回想しました」と2014年4月付けどの出版だ。母の一つ上だから今年89才だけど、お元気そうだ。色白のきれいな大きな先生だった。

京都薬大では厳しいと言われた天然物薬品製造化学教室に希望して入った。厳しいと覚悟で3年の後期、入ってすぐに、すでに毎日夜遅くまで教室にいた。春休みにヨーロッパ研修旅行という名の、チバガイギー、スイス・バイエルンパリ大学薬学部にはいくもののお遊び旅行に薬大から行って、ヨーロッパを見てしまって、帰ってきて私は、芸大に行きなおすことに決めたのだったから、厳しい教室では、夜のデッサンに通えないことになるので、卒論は「受験したいので、ひとりでできるものにしてほしい」と教授に言いに行った。

普通二人で組むから。教授は、厳しくて有名だったのに「そういうわけなら、単位はあげるから専念しなさい。教室には来なくていいです。僕も水墨画をやりたった」それで私は、お昼からデッサンなどの予備校に通ったのだった。ゴーキ美術予備校は、京都市立芸大美術学部に125人合格するうちの25人を占めていた。お昼に通えるのはすごくラッキーだった。学科は、冬休みや夏休みにまとめてできるレベルだったけどデッサンや実技は時間が必要だったから。
この教授にはとても感謝している。
勿論、教授も下手な実験をめちゃくちゃにされるとご自分の研究の末端の資料になるだけに迷惑だったのかもしれないからいい判断?!だったとおもう。
ついその前にも諏訪湖のしじみを1か月かけて抽出したのにクロマトグラフィに入れる直前にひっくり返してしまったのだったから。
米寿の時のパーティの集合写真に私も写っているのが、何ともうれしい。

写真は、四角い鉛筆で定規にも使えるかわいいもの。友人が、お土産に買ったから私もつられて。

夜9時半、フランス語から帰ってきてすぐに野球の結果を調べる。ほら!1点勝ってて出かけたけど、帰ってきたら負けてるじゃない!こんなことできっと家にいたら見ててがっかりしてたんだ。フランス語で時間を使った方がましなんだ。いくら1時間くらいで上達しなくても。