Mari Matsuno の日記

神戸とパリ在住の画家、松野真理のブログです。

政治から遠いですが

marimatsuno2011-05-01

パリの友人が、伝えてきたメッセージを政治からものすごく遠いわたしのブログですが、載せさせていただきます。
http://57nonukes.tumblr.com/
以下は、彼の一番信用できるという小出裕章京都大学原子炉実験所助教)(支持者の一人)の言葉です。


先日、高円寺で若者たちがデモをし、インターネットで映像が流れてきました。
「ああ、歴史はやっぱり流れているな」と思いました。
私はチェルノブイリの事故があった86年の秋に、ウィーンに行きました。
チェルノブイリの事故で、原子力に反対してきた学者たちや運動家が集まって「AntiAtom International(反原発国際会議)」という会議がありました。
その時に色んなイベントが同時並行で行われていて、ウィーン市内で原発反対のデモが行われました。
北駅とか南駅とかあちこちから出発して、中心にあるホーフブルグ宮殿を目指したんですが、北駅に私が行ってみたら、誰もいませんでした。
主催者みたいな人はいるんですが、周りを見ても誰もいなくので、「今日はこれでいいのですか?」と聞くと「いいんだ」と返事が来ました。
そして、そうこうする間に、どこかから沸き上がってくるようにして、人々が集まってきた。
それもみんなてんでんばらばらの格好をして、一つのプラカードを持っているわけでもないし、隊列を組んで腕を組んでやるというのでもないんですね。
それぞれ、自分のつくった看板を背負った人もいるし、乳母車をひいている人もいる。
それぞれが自分の主張を持って、沸き上がってくるんです。
そういう人たちがデモをして、いつの間にか大群のデモになっている。
当時の日本では到底考えられないかたちで、組織が動員もしないし、隊列を組んでシュプレヒコールというわけでもない。
「ああ、こういうデモがあるんだな」と、ヨーロッパがいいというわけではないけれども、歴史の成熟を感じて、こういうふうに一人ひとりが自分の自発的な意志で立ち上がるような日が来れば、人の世も変わると思いました。
先日の高円寺のデモの報道に接し、確かに一歩近づいたと思いました。
私が希望を託すとすれば、政治家とかそんなことではなく、生きる人間の、一人ひとりです。
先日のデモを見て、少し希望を感じました。

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澤会から全員にリストバンドが配られるということを漏れ聞いて
朝から、喜んでいるわたしですが、お祈りするという行動的には消極的ですが、みんなが平和を望んでいます。
ジュリーは自費で作って募金もしなくてくれるわけ?