三尾公三先生
私が、京都市立芸術大学のときの担当教授であった三尾公三先生の没後10周年の催しが、京都造形美術大学のギャルリ・オーブであるという案内が来た。偲ぶ会の申し込みが迫ってる。三尾先生は、AAをつけてくれて、「ぼくは、他の先生のように簡単にはつけないのですよ」といってかわいがってくださった。パリに行ってた間を挟んで専攻科でも先生を選んだのでずっとお世話になった。
でも先生の晩年、私は、先生に満足していただける絵が出来なかった。「長生きしていてください。今に先生にほめてもらえる絵を作りますから」って思っていたけどなくなられてしまった。
この会の担当は、私の芸大のとき一緒に学んでいた人たちが、教授になってやっている。先生に対して人一倍愛情を持っていたと思う私は、もう遠くにいる。もう先生はいらっしゃらないというどうしようもない気持ちと、その後着実に教授になってる人たちにおいていかれたような気持ちで疎外感を味わう。教えるほうに回ろうという気持ちは一回もなかった。
いい絵を描きたいとしか思わなかった。
生活できたから仕事に就かなかった。
そして今は、一人で絵を描いてるだけ。
私の人生、これでよかったのだろうか。