母
私と母の間に共通の話題が少ない。母は、阪神タイガースの試合をテレビで見るようになった。でも「ファウルって何?」「何人で交代するの?」って聞く。
牛のミンチとたまねぎ、にんじんのみじん切りとをいためたのを、昨日は、ジャガイモの湯がいたのを入れてオムレツにしたけれど今日私が夜出かけるので、チーズの塊を入れてコロッケをつくった。お昼に母にできたての小さい団子状のを出したら、ケチャップがかかってるのに前に出てたしょうゆを無造作にかけた!
私は、「かけるならソースでしょう?!」母は「そうだけどめんどうだから」
面倒ならかけないでほしい。料理人の面子は、丸つぶれ!
ものすごくがっかりするほどのことじゃないといわれるかもしれない。
コーヒーでもさめないうちに飲んでほしいし、グラタンなんか熱々を食べてほしいのに、ほかの冷たいものを先に食べてたりする。そして何でもおいしいという。
それって侮辱なのだ。まずいといわれるより良いじゃないといわれても。
そんなことでいちいち傷ついてたら生きていけない、暇ねえ、って言われるだろうけど、夫だったらそういうことの積み重なりも離婚の原因になるかも。
認知症の母親を持つ友人たちは、自分のことさえ認識してもらえない。その悲しみは、想像して余りある。
体が、元気なだけありがたいと思わなくてはいけないのかもしれない。
そんな母に最近似てるといわれる。昔、似てるといわれた優しい父は、とっくに亡くなってしまった。母の辞書に反省や、謙虚はない。どうぞ似てるって言わないで。