Mari Matsuno の日記

神戸とパリ在住の画家、松野真理のブログです。

さっちゃんと

marimatsuno2009-08-28

先日IKEAで買った包丁いれやお塩や砂糖いれなどステンレス製品
さっちゃんが、来たのでお昼を一緒に食べた。さっちゃんとは、小学校1年生のとき一緒にランドセルしょって小学校に行った仲。銀行員の父が、神戸支店から丸の内支店になったので東京、新宿、市ヶ谷の社宅に引っ越したとき、お隣だった。
田舎から東京の真ん中に行ってとなりのさっちゃんのお父様は、ドイツに単身赴任していた。社宅とは言っても広い庭で赤い屋根の平屋で水洗トイレだった! 50年以上前なのに。母親同士は、神戸出身で同窓だったせいもって仲がよかった。
小学校一年生のときにもうすでに さっちゃんは、ピアノがとてもうまくて、母は、影響を受けて私にもピアノを習わせた!
結婚前小学校の先生をしてた母は、ピアノが好きだったのに、戦争中でもあり、教員免許を取るレベルしか練習できなくて自分がやりたかったせいもあるだろうけど、私は、音感ゼロでひどい目にあった。ピアノの練習がきらいだったから。
厳しくてハノン、チェルニー、バッハのインベンション、ソナチネソナタ、もちろんその前には、バイエルを毎日10回ずつとか練習されられて泣きながらやっていた。あれは、何にもならなかった。父が倒れて私のことにかかわれなくなる小学6年までひどい目にあった。

さっちゃんとは、神戸高校で再会した。名高い神戸高校の合唱部のピアノをやっていた。さすが!

さっちゃんとおしゃべりしても最後は、ジュリー。さっちゃんは、優しいから私の話を聞いてくれる。
でもさっちゃんは、沢田研二のLIVEに行ったことがあるという。なんと25歳くらいのジュリーを見たって。友達に誘われて特にファンじゃないけど行ったって。そのときの印象は、ほかの人は、前座とかいたのにジュリーは、はじめから終わりまで一人でやってたって。そしてすごく一生懸命歌っていたからよく覚えてるって、でも最後のほうには、声があまり出なくなっていたって。30年前の綺麗なジュリーと裕也の「決めてやる今夜」と2009年の同じ曲を聞かせた。それからやっぱり「ジュリー祭り」の曲を選んで「いくつかの場面」とかDVDでかけた。
さっちゃんは、すごくうまくなったって感心してくれた。我がことのようにうれしくて、無理やりNHKのジュリー祭りの録画を貸した。だってジュリー祭りのDVDもCDももってるからNHKのたった1時間半は、特に必要ないんだもの。
さっちゃんは、おとなしく?借りてくれた。