昔のノート
1973年12月27日たぶん朝日新聞。TV広告映画の「鬼才」自殺、という記事を切り抜いて貼った。
リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
うそをついてもばれるものです
昨日杉山登志の自伝的フィクションをテレビでやった。
資生堂が中心だったが
気楽にいこうよ おれたちは
あせってみてもおなじこと
Mobilの宣伝、レナウン イエイエとか色々昔の広告が入り懐かしさに浸る。あのころの広告は今でも覚えてる。今みたいに多くなかったからだろうか。
それで昔のノートを引っ張り出した。同じころには、ソルジェニーツインの切抜きが多い。1974年2月には逮捕。そのころ「天窓」の梅原猛の「狂気と正気の間」を呼んで感動して、芸術の道に進もうと決心した。彼は京都市立芸大の学長になってたが、記事で感動したようには本人には感動しなかった。
芹沢光治良、宮沢賢治、大江健三郎、ドフトエフスキー、福永武彦・・・・
毎日のように何か読んでる。映画もレーチェル・レーチェル、ファイブ・イージー・ピーセス、ダーリング、愛の渇き(これは今でも若い男の肌をとがったつめで引っかくシーンだけ覚えてる!石立鉄男、浅丘ルリ子)動物と子供たちの詩、俺たちに明日はない、ライムライト、スティング・・・・
展覧会もアンソール、ボナール、中村つね(漢字が見つけられない)ワイエス、セザンヌ、ヘンリー・ムーア・・・・
23歳、24歳のころ。今は読んだことさえ忘れてる。中身は何にも。これらの時間は私の頭の中でしわを作らなかったのだろうか、空っぽの頭を抱えて今は長い本を読むこともまれになった。
また同じころ江夏2000三振奪取、150勝江夏が好きでローテーションを考えて甲子園にいっていた。弟は稼ぐようになったら年間シートを買ってあげるよといっていた。
野球熱は稲尾の時代からだが平和台に見に行くことは無かった。
今年は3回球場にいくことになるけど昔は練習も見た。一人でもオールスター戦の江夏の9奪三振を西宮球場で見た。
昔のノートをフミにみせたら「真理ちゃん過去を振り返ってばかりいたらだめだよ」