本
友人から本を頂いた。
これは裏表紙。作者の説明文から
『3年前に姉を見送った時のことを本にまとめた。表紙には一緒に育った生家の前から写した山の景色を使った。タンポポの畑で少女時代に首飾りを作って遊んだ思い出の場所である。
本の内容はホスピスでのことに限定しようかと考えたけれど、大病院での人間を無視したような現状を素通りできなくて、病院とホスピスの両方を書くことにした。ホスピスでのことは全部そのままに書き、病院でのことは感情を抑えて事実をさらっと書いた。書くことで気分が紛れるならそれも良いし、一庶民が見た医療現場とホスピスの生活を日記風に綴ってみた。
・・・・ホスピスの項では思い出すままに姉の顔を浮かべながら、時間をいとおしみながら書いた。
1年間も寝かせて出来上がった本だのに、手元に届けられた本のページを何故かまだ開けられない。書く事で全ての悲しみを出し切ったと思ったのに・・・悲しみの泉は涸れそうもない。』
お姉さまは、総合病院で癌の宣告を受けたのに「手術までの待ち時間は3ヶ月、進行性で無いから進んでも誤差の範囲です」と言われたのに、3ヵ月後にはもう亡くなっていました。医療ミスじゃない!って憤りを感じました。本は、淡々と医療の事実と愛情あふれる姉妹のふれあいを記しています。その抑えた表現が作者の姉に対する愛情をより強く深く感じさせます。お姉さまの句が、また心を打ちます。
2003年4月癌がわかったときから7月なくなるまでのお姉さま、敦子さんの句の一部です。
電話機も私も微熱 さつき咲く
検査着はブルー五月雨が続く
病む五月せめて明るいパジャマ着て
花の香 わっと死の扉を開ける
トルコ桔梗 姉妹の愛に包まれて
空気ピリピリと告知を聞いている
新緑の車窓 悪夢は覚めず
(ホスピスに入ってから)
錠剤ころころ 新緑に臥している
梅雨明けて祈り届かぬ千羽鶴
病室パーティー 夫のコロッケ加わって
もう会えぬかもしれないな握手
さらさらと別離の刻へ落ちる砂
万華鏡くるくる回る姉のほほえみ 京子
死について面と向かいたくない気持ちがあります。早くに亡くなった父や弟のことを思うとずいぶん生きてこれたなあという感謝の気持ちもあります。子供もいて次の世代にバトンタッチした気持ちもあります。生き散らかした人生を少し整理してから去りたいなあと思ったりもします。
死に直面することの多かった若いころ絵のテーマは「人間存在のはかなさ」でした。美しい裸婦を使って空虚さを表現してるつもりでした。顔の表情で。子供が生まれてからは、はかなさから離れていましたが、今は、また違う意味で年取った周りの人たちがなくなっていくのを見て人間が消えなくてはならない怖さを感じています。
同じとき私は乳がんになってすぐ手術して今は3年になるけど元気にしています。
でもはじめにいった病院は、少し疑って精密検査もしたけど「たぶん脂肪腫と思いますが、様子を見ましょう」といった。医者の友人によくても悪くてもセカンドオピニオンに行くべきだといわれていたのですぐその足で有名な乳腺外来のあるところに行くと同じレントゲン見て「多分乳がんだとおもわれるから精密検査します」あのまま様子を見ていたら、それでもすでに2期だといわれてたので怖いことになっていたと思います。
私は17歳のときに上顎癌(「愛と死を見つめて」ですぐ前の年に有名になってた病気)の手術をしてますがそのときは90パーセント無理だといわれていたそうです。
若い主治医が母に惚れて功名心とで必死でまだ治った例のほとんど無かった病気をアメリカの文献を見てモルモットのごとく色々やって若くて丈夫だった私の体力もあって生き残ったのでした。
でも私が死んでたら弟は死んでなかったかもしれませんから何がよくて何が悪かったかはわかりませんが。
この友人の本は、訴えてもいいような医療に関する怒り(一生懸命やってる医者も沢山いるし凄く忙しいこともわかるけど)を感じましたが、家族の愛を大きく感じ切ない気持ちです。家族がいるって言うのはいいなあ。私の家族は少なすぎるなあ。